運転手のよそ見や操作ミスで、何の罪もない人が犠牲になる。そんなニュースが絶えないです。
世間が問題意識を持つようになり、特にニュースとして取り上げられる機会が増えたのかもしれません。私達が知らないだけで交通事故は当たり前のように発生しています。
去年(2018 日本)の交通事故死者数は、3500人超です。その前年より減少したそうなので、毎日10人交通事故で亡くなられていると言えます。
とは言えども、随分安全になったとも言えます。下のグラフは10万人ごとの死者数、つまり事故で死亡する確率の推移です。
僕が赤ん坊のときがピークだったようです。
1970年代の交通事故死者は1.6万人を超えていたようなので、毎日40人を超える死者が出ていたのです。
モータリゼーションが爆発的に拡大したタイミングは、まだまだ運転者の態度や環境や性能等など、安全対策がまだ未熟だったのでしょうか?
大きな転換期となったのは「シートベルトの着用義務」と厳罰化。以降、事故は減少傾向となり、エアバッグや衝突基準の整備が進み、一時期と比べて安全になったと言えます。
でも考えてみてください。
ようやく、60年前のレベルに戻っただけとも見えます。
自動車としての技術力は格段に進歩したと言えますが、死なないための技術力はそれほど進化していないとも言えるかもしれません。
自動車はこれほどの人を殺しているにもかかわらず、人々は悲惨な事故のニュースを見ても、自動車自体を廃絶しようという意見はありません。
僕は一応ヘッポコ芸大でデザインを学びました。それが環境デザインという、統合的視点の分野でしたから、少し違うレイヤーで観察するというクセを叩き込まれました。
そんな僕が、自動車と事故に感じることは…
自動車の事故の原因は何でしょうか?
よそ見、不注意、居眠り、操作ミス、誘発するような環境…
殺意があるような場合を除くと、そんなものでしょう。
でも、考えてみてください。
それらは人間がもつ特徴なのです。そうゆいものなのです。
自動車の運転は、それらの人間が本来から持つ特徴を許さない、という点が「人間中心デザイン」として完成度が低いと感じるのです。
ようするに自動車の運転は、人間にとって過酷で複雑すぎるのに、いったん事故となると破壊的な代償を負うという事です。
家電製品やコンピューターやアプリの操作でも、複雑でわかりにくく、ミスを誘発する場合にも、それはデザインが悪いと言えます。でも、そのミスで人を直接殺すような事態にならない点だけが自動車と違うところです。
さて視点を変えて考えると、そのようなリスクを侵して移動しなくてはいけないのか?となり、社会の在り方に及びます。
通勤や買い物に自動車を使わざる負えないのはなぜか?
高齢になっても免許を返上できないのはなぜか?
自動車の役割は「ヒト、モノの移動」です。
モータリゼーション以降、仕事や勤務地、食べ物、物質的などあらゆる選択の自由を手にしました。それは否定できませんし、戻れません。
社会が地産地消、自給自足を徹底するなら自動車のようなパワフルな輸送手段は必要なくなるでしょう。でも、そのようにはなりません。
でも、停滞していた自動車のデザインにも、新たな展開がありますね。「自動運転」です。
人工知能に運転を任せる事に抵抗感がありますが、究極的には自動車の運転という過酷な操作を、ムッチャ高度な機械が行うという正常な進化です。
人工知能知能がどれだけ信頼できるかは大いに議論するべきです。機械に責任感はありません。
ですが、人工知能は疲れ知らずに集中し、学ぶという点が人間より高い運転適正が見込める素質です。
また「働き方改革」というムーブメント(働き方のデザインと言えます)は、本来の人間性を取り戻すもので、それには無用な移動を無くすニュアンスもありますね。
さて、さらに社会にデザイン視点の進化が進めば、分断された人間関係も改善できるのかもしれません。