なんだか母方の親戚の話が多いですが、とくに印象的なのは下から2番目のS叔父さん。
文系の家族がほとんどな中、唯一理数系が得意で東北大学の理学部に進学したのですね。やがて学生運動に身を投じて委員長になりました。「川内(東北大学川内キャンパスのある所)のマルクス」と呼ばれていました。60年代か70年代の頃だと思います。
「ガロ」という雑誌に掲載されていた白土三平の漫画「カムイ伝」を大学生が夢中になって読んでいた時代。
叔父はしばしば警察に追いかけられていましたが、時々仙台の鹿野に住んでいた私たちの家に現れては美容師だった母の店で髪をカットしてもらっていました。そしてクラシック音楽について語り、まだ駆け出しだったピアニストのマルタ・アルゲリッチやマウリツィオ・ポリーニのことを「彼らはすごくなるよ」と言っていたそうですが叔父の言う通りになりましたね。
彼はそれほどハンサムではなかったけど女性にもてていました。彼女はいたようですが、「私にはすごすぎて相手にはなれない」と言って離れていったようです。
東北大学は中退して宮城教育大学に移りました。
ぼんやりと思い出すけどうたごえ喫茶が流行っていた頃でもあったのでは。親に連れて行かれて入ったことあります。マイクを持った歌うお兄さんがいました。パフェを食べました。手塚治虫さんの漫画「雑巾と宝石」にもうたごえ喫茶出てきます。本当に手塚さんは時代をとらえる名人でしたね。今も生きておられたらどう描いておられたでしょうね。
就職の時は合格が難しいと言われていた全農協に一発で合格したのに交通事故に巻き込まれて療養生活、全農協には入れなかったようです。
学生運動はいつの間にか挫折していたようです。私の父はそのことを怒っていました。
結婚は自分とは考え方が違うと思われる女性の家にお婿さんとして入りました。青森で塾とか開いて稼いでおられたようです。女の子と男の子が生まれました。
最後はお連れ合いさんとも別居して、生活保護で生活しながらだんだん呼吸できなくなる病気にかかり、青森の病院で一人寂しく亡くなりました。
葬式に行きました。かつての学生運動の仲間だったと思われる二人の男性が東京から来ていました。
私が大学で学んでいた時、美術の先生のH先生が講義で「自分たちの一つ上の世代は学生運動の世代だったんだが、今ではその人々の多くは会社の重役なんだ」とおっしゃっていました。
なんだか複雑な思いになるお話です。
写真は白土三平の漫画「カムイ伝」の1シーン。