【散歩】たみ散歩「東京・国分寺」 Vol.24 国分尼寺の歴史ある街並みをぶらり散歩する!④

1. Introduction

引き続き、薬師如来を安置する本堂をはじめとした堂塔伽藍がそろい、八日堂のお薬師さんの名で近在の信仰を集めている国分寺のぶらり散歩をお届けします(前回の記事はこちら)。

2. Walking

ここから国分尼寺の寺院跡の方向に歩いていきます。

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史跡武蔵国分寺跡。奈良時代の中頃、聖武天皇は仏の力で国を安定させるために、諸国に国分寺の建立を命じました。武蔵国では、都と国府(現府中市内)を結ぶ古代官道「東山道武蔵路」沿いの東に僧寺、西に尼寺が計画的に配置されました。蔵国分寺跡は、全国の国分寺跡と比べても規模が大きく、その歴史的重要性はつとに認められており、大正11年に国指定史跡に指定されています。

お鷹の道を歩いて「真姿の池湧水群」の方向に歩いていきます。このお鷹の道は、尾張徳川家の鷹狩の場所として指定されたことからこの名が付いたんだそうです。湧水が綺麗な事が有名で、この辺り一体を真姿の池湧水群と呼びます

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雑木林の道を進みます。石段を下りていくと崖の途中に赤い鳥居が見えてきます。

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稲荷神社です。稲荷の辺りには真姿の池があります。

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こういうぶらり散歩の途中で寺院や神社と巡り会えるのも散策の楽しみ方の一つ。

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真姿の池は、環境庁の「名水百選」に選定された「お鷹の道・真姿の池湧水群」の一部で、東京都の名湧水57選でもあり東京都の都市計画国分寺緑地にも指定、周辺は東京都の国分寺崖線緑地保全地域に指定されています。

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「真姿の池」の由来は、嘉称元年(848)不治の病に苦しんだ玉造小町が、病気平癒祈願のため国分寺を訪れ二十一日間参詣すると、一人の童子が現れ小町をこの池に案内し、この池の水で身を清めるようにと言って姿を消しました。

玉造小町が言われたとおりにしたところ、たちどころに病は癒え、元の美しい姿に戻りました。それから人々はこの池を真姿の池と呼ぶようになったという伝説からきています。

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「ホタルのすむ川」との文字が見えます。僕の生まれた町でも近所の川で昔はホタルが見えたんですが、今ではそのホタルも見ることができなくなりました。

水を汲んで帰ってる人の姿も見受けられました。

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なくてはならない清き水でしょう。

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お野菜が売っていますが、朝早かったので閉まっています。

朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり。

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「西元町一丁目13」

ちょっと一休み致します。

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「山里は 冬ぞさびしさ まさりける人目も草も かれぬと思へば」

史跡の駅方面に行ってみます。

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お鷹の道をひたすら歩いていきます。

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カワニナもいるんだ!東京も捨てたもんじゃないなぁ。

都心でもこんな場所があるんですね。

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非日常を手軽に味わえる素晴らしい場所でございます。

大きな門構えの「旧本多家住宅長屋門」。

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こちらの建物は大人入園料100円で見物することができます。チケットは門前にある「おたカフェ」で購入することができます。

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このあとこの「おたカフェ」でも一人カフェを楽しみますのでお楽しみに!

旧本多家住宅長屋門は,代々国分寺村の名主であった本多家の屋敷の入口に,表門と先代当主の隠居所を兼ねて,江戸時代末期に建築されました。

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幕末から明治時代には,分家の本多雖軒が村医を開業して,教育や書画などを多方面に活動する拠点として利用し,さらに大正時代以降には,建物を利用して養蚕を行っていたことも判明したそうです。

「旧本多家住宅倉」

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敷地に入ってすぐ西側には本多家の倉があります。桁行4.5m・梁間3.6mの木造2階建,切妻造鉄板葺の置屋根で,東面に出入口を有しております。棟木には「維持宝永5年(1708)創建 明治33年(1900)12月 三世本多良助全部新造(略)」の墨書があり,外壁は昭和の改修で,目地を切るモルタル洗出しとするなど,時代の流行を反映した建築物です。

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かつて家を建てることを「家普請(いえぶしん)」と呼んだそうです。家普請とは普(あまね)く人々に請(こ)うとうという意味で、家を建てる際に、地域で暮らす人達は、お互いに協力し手伝い合いました。そして建て主から職人や地域住民への感謝の意を込め、棟式(建前)が行われていましたが、近年、そのような習慣はなくなりつつあります。

これからはDAO(自立分散型組織)でつながりながら助け合う時代が来るのでしょうか。敷地内には武蔵国分寺の七重塔推定復元模型があります。

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武蔵国分寺七重塔推定復元模型は市内北町の田中為義棟梁が復元模型設計書を参考に10分の1スケールの縮尺で製作したものです。この後、武蔵国分寺跡にも参りますが、かつて武蔵国分寺にあった七重塔は『続日本後紀』によると835年(承和2年)に落雷によって焼失したとされております。

3. Summarize

今日はここでお終いです。この後、長屋門に登ってみたいと思います!

お次は「【散歩】たみ散歩「東京・国分寺」 Vol.24 国分尼寺の歴史ある街並みをぶらり散歩する!⑤」をお届けしますのでお楽しみに!

P.S. tasteemを誤った使い方をしてしまい皆様にご迷惑をおかけしました。もっとユニークな記事を書いてsteemitを面白くしていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

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written by tamito0201(たみと)

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