東北の震災が起こって7年の歳月が流れました。
私は2011年3月11日当日、熊本県の自衛隊基地にいました。
その日、災害が起きた場合を想定して、自衛隊と一緒に緊急時の訓練を行なっており、ヘリに乗って衛星電話などを配置したりする訓練を行なっておりました。
そんな矢先に、熊本でも若干の揺れを感じる地震が発生し、自衛隊員の方々とガラケーのワンセグにかじりつき、ニュース速報を待ちました。
数分で、とんでもない災害が発生したことが分かり、自衛隊の方々はそのまま出動。私を含める訓練メンバーは熊本駐屯地に残されることになりました。
その時の無力感が大きかった事もあり、東北復興関連については機会がある度に訪問させて頂きました。
2011年10月 大船渡
震災が発生した当年だったこともあり、瓦礫撤去や除染作業、塩害にあった家を壊す作業などを行いました。
当時の瓦礫の中には、人々の生活色が伝わる、写真・時計・子供の名前入り靴 など、直接被害に遭っていない私が見るにも忍びないものが多く含まれており、作業後に(当時暮らしていた)福岡県に戻った際の、生活ギャップと平和な暮らし に戻る事をどう受け止められればいいのか、悩んだ時期もありました。
2度目の東北は
2012年7月 南三陸・気仙沼地方
朝の日の出が強烈に美しかった事が印象的です。
この頃も、砂浜から漁船を引っ張り出したり、海水浴場を再生するための肉体労働系が多かったです。
ただ、気仙沼などでは復興屋台などができていて、現地の方々の復興のエネルギーの高まりを非常に感じた体験でした。
現地の方にも復興に前向きな方とお会いする機会が多く、これなら東北復興は早いのでは!と感じた事をよく覚えています。
3度目の訪問は
2013年6月 陸前高田
この時は、仮設住宅に取り付けるウッドデッキを設置してきました。
震災から2年が経ちつつも、未だに仮設住宅で暮らし続ける方々がいる反面、震災の記憶が風化していく事が危惧されて始めた頃でもありました。
1年前とは打って変わって、復興のエネルギーをどう持続させるかという事が大きなテーマになっていた事が印象的です。
次におこなったのは
東北復興支援マルシェ@九州
前述の震災の記憶風化の課題もあり、2014年には会社で「東北復興支援マルシェ@九州」といものを企画して、東北の物産を九州で販売する企画を実行しました。
当日の売上目標は30万円だったのですが、多くの方のご協力を得ることができ、130万円という4倍の売上を達成することができ、TV局も取材にきていただく事ができ、多くの方に東北の復興と食の復活をお伝えできたのではないかと思います。
※その後、私は九州を離れてしまうのですが2016年の熊本地震の際には、前述の取組が多少お役に立ったと聞いています。
そして、4度目の東北、直近が2016年
山元町でのクッキングイベント
復興地域に新たにできたコミュニティの中で、どうやって友好な人間関係を築くか、がテーマでした。
この頃には、インフラはすっかり回復しており、以前の町の風景とガラッと変わった町づくりが開始されており、東北域外からも人の移住が進んでいました。
反面、新たなコミュニティの中での人間関係の構築が課題となっており、その一助としてクッキング教室を行うことになり、それに参加してきました。
そして、さらに歳月が流れ、昨日震災から丸7年となりました。
この震災から私はとても多くの事を学ばせて頂きました。細かく書けばキリがないのですが、端的な言葉で表現させていただくと
人は弱くて 強い
という事だと思います。
どんな人間も、克服不可能などうしようもない弱さを持ち合わせていて、本当に苦しい時には1人ではとても太刀打ちできません。
しかし、反面で人間は どんな境遇にあっても決して負けない強さも同時に備えています。
そして、その強さは、自分の弱さを認められる事が第一のスタートになっていると思います。
私も、これまで生きてきて、とても苦しい時期や逃げたい事がたくさんありました。そして、今も一部では受け容れきれずに逃げている事がたくさんあります。
しかし、自分の弱さを知ること、弱さを経験する事が次の強さに繋がる事は、この震災が無ければ、恐らくこんなに強烈に学ぶ事はできなったでしょう。
よく
「私たちは亡くなられた方々の分も生きなければ」と語られる事がありますが、少なくとも私にはそれは不可能だと思っていて、あるとすれば
「自分の人生をしっかり生きねば」
という事だと思います。
3.11という日を災害があった大変な日というだけに終わらせずに(人によって異なると思いますが)あの災害から何を感じたかを振り返って、ブログでもSNSでも家族とでもいいので、アウトプットしてみる事が大切なのではないか、と思いました。
長文になりましたが、今日もちゃんと生きられている事に感謝して