地球儀、世界地図、GoogleMap……。
マクロな視点で日本を見ると、その小ささを感じざるを得ない。
しかし、細部を見ると、狭い国土の中でこれほどまでに変化に富む国は他に無いように思われる。
表面的な風景を見てもその差は大きく、同じ国の風景だとは思えない。
10年ほど前の話だが、旅人を自称し、住み込みで働きながら全国を放浪していたことがある。
様々な地方の事情を見聞きし、体験していると、もっと些細なものに日本の広さを感じることがある。
例えば、体育の授業の話。
北海道や東北地方の日本海側では、体育の授業でスキーをする。
スキー……とは言っても、クロスカントリースキーだ。多くの人がウィンタースポーツとして楽しむアルペンスキーとは違い、板も細長く、歩くのに向いている。
ほとんどの人は経験したことがないのではないだろうか。
同じ北国でも北海道の東部のように雪の少ない地域ではスキーをせずにスケートをする。
このため、小学生でもしっかりとしたスピードスケートのフォームを身に付けていることが多い。
その代わりと言ってはなんだが、これらの北国では体育で水泳をしないことが多く、カナヅチが多かったりする。
ささやかだけれど、それだけに日本の密度を感じることができる。
前置きが長くなってしまった。
上記の例はその土地の人にとってはいたって日常的なもので、観光客向きの話題ではない。
風景についても、日常的で放っておくと通り過ぎてしまうよなささやかなものがある。
それは美しいわけではない。しかし、そういった風景は旅情を感じさせる。
地球儀の上では指の一関節程度の距離でも、「なんだか、ずいぶん遠くに来てしまった」と思わずにはいられない。
そういった日本の密度を感じられる二つの風景を紹介する。
桜島フェリーの学生たち
鹿児島を訪れた際、桜島の南側をフェリーで渡った。
有名な観光コースなのかどうかはよく分からないが、江戸時代の貿易手段として重要な航路であったことは間違いない。
きっと西郷隆盛も見たであろう南側からの桜島を船から見るということはそれだけで趣深いものであるように思う。
けれど、桜島それ自体よりも気になったのは、同じ船に乗る学生たちだった。
この画像のみこちらの方のブログより拝借しております(⇒http://kyo-kago.com/index-49.html)
修学旅行生だろう。初めはそう思っていた。
実際には地元の高校生だった。
僕が乗ったフェリーは地元の人が通勤や通学に使用しているものだった。
鹿児島の形を思い浮かべると、確かに納得がいく。西岸の薩摩半島と東岸の大隅半島を行き来するためには海を渡るのがもっとも早い。
しかし、船で通学する学生たちがいるなんて思ってもみなかった。
主要な道路の真横で見た荒地
車の窓からはただ単に荒地が広がっているのが見えた。緑の深さからも長い間、放ったらかしにされていたことが分かる。
走っている道路は国道117号線、この景色の反対側には民家、工場、ガソリンスタンドなどがある。
栄えているというほどではない。けれど、ギャップは大きい。これがもし、両側とも同じような荒地だったなら気にも留めなかっただろう。
不思議で仕方がなかった。
少しして川が見え、そこが川辺であったことに気付く。
そこは千曲川の川辺だった。新潟に入ると信濃川と呼ばれるこの川は日本で一番長く、水量ももっとも多い。
時にはこの荒地は水没してしまうのであろう。そんな危険な場所に何か建てることはできない。必然的に荒地となる。
車は国道を走り続け、橋に向かって右折した。
橋を渡る途中、川を見下ろした。目の前に壮大な川が広がる。
見事だった。けれど、荒地の風景が頭を離れることはなかった。