【jp-300文字コンテスト】全部兄だった。

こんにちは。大吉です。
隣で寝ている父のイビキがうるさ過ぎて寝れないので、文章をしたためています。笑

急に家族構成の話ですが、僕には3つ上の兄がいます。
その兄が本日、2018年5月19日に結婚式を挙げます。
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場所はこんな雰囲気
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(もっと良い写真があったような…)

節目に何か思いを残しておこう、そういう魂胆で書いてます。steemitがあって良かった。


思えば、いつも兄を追いかけていた。
1番古い記憶は僕が幼稚園にいた頃、浜風が強い街、北海道の留萌に住んでいたときに、暴雪に煽られながら兄の通っていた学校まで歩いた、そんな記憶。ちなみにかもめ幼稚園という名前。なんで幼稚園って動物の名前を付けたがるんだろう。今でも現存しているのだろうか。

それから小学校の最初の3年間は苫小牧に住んだ。兄は野球をやっていて、その影響から僕も同じ少年団に入った。でもそれを言うのは恥ずかしいから、本当はサッカーがやりたかったなんて嘘をついた。
その少年団はとても弱くて、なんならメンバーもギリギリで当時小学2年の僕がセカンドを守っていた。マウンドには兄が居て、その背中を見ていた。そのときにフライが飛んできて、落として泣いて、交代させられたのを今でも覚えている。今はそんなに悔しいと思うこともなくなった。

兄は頭が良かった。兄が中学に入るとき、ちょうど父親が札幌に転勤することが決まった。知り合いの居ない、近くの公立中学に行くくらいなら、私立に行きたいということで兄は小学6年生の半年間、塾に通っていた。塾にいる兄を迎えに行く道すがら、母親が長崎屋の銀だこでたこ焼きを買ってくれるのが、僕の楽しみの一つだった。

兄はその私立中学に無事合格した。でも野球部には入らず、クイズ研究会と数学部に入った。兄が居なくても僕は野球を続けた。
その頃辺りからあまり密に接することも少なくなっていった気がする。当然のことだ。
だからなのか札幌に来てから、休みの日の夜にはトランプの大富豪を家族でやるのが定番になった。兄は負けず嫌いだった。負けるとイライラして、みんなを強張らせた挙句、華麗にあがって、ご機嫌になる。負け役は大体父だった。

僕が中学生の頃には兄に勉強を教わっていた。特に覚えているのが、座標の分かっている時の三角形の面積の計算。1点を原点に平行移動させた後に残りの2点のxy座標をクロスして掛けた後に引いて、絶対値を取り、その値の半分が三角形の面積になるというもの。
こういった計算を兄は結構教えてくれた。
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(具体的な計算はこんな感じ。当時は結構感動しました。)

クイズ研究会に入るほどクイズが好きだった兄はアタック25の高校生大会に出場した。もちろん、応援しに行った。僕は兄が優勝するのかなと思っていたが、4枚のパネルを獲得するに留まり、優勝は出来なかった。あとはパネル1枚毎に1万円が貰えるということは知っていたが、参加賞として5千円はみんな貰えるということをこのとき初めて知った。つまりパネルが1枚も取れなくても5千円は賞金として貰えるのだ。また番組撮影の後、児玉さんと家族で撮った写真は今でも大切な宝物だ。

兄は東京の大学に行った。それからは帰省してきたときに話すくらいで、会話も減った。
高校生の僕は将棋に熱中し、兄は東京の生活に馴染んでいった。

そして、思うことがある。
勉強もろくにせずに現役のとき大学に落ちた自分を兄は当時どう思ったのだろうか?
そして今、大学の修士課程を修了したのに就職せず、博士課程に進学した自分を兄はどう思っているのだろうか?

兄を知覚してから今日まで、僕は兄を尊敬している。

このことは今度2人でゆっくり話す機会がもしあったら、そのときに聞いてみようと思う。
今日は兄とお嫁さんの晴れ舞台なので、カメラマンとしての任務をしっかり果たしたい。

隣の父のイビキが落ち着いて来たので、寝ようと思います。笑
おやすみなさい。

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