jp-Friendship#4 私の好きな街並み

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@steemit-jpさんの「jp-friendship」企画第4弾『私の好きな街並み』
@kayokoさんからバトンをいただきましたので、参加させていただきます。@kayokoさんありがとうございました。投稿が遅くなってごめんなさい。

これは島田市の川越遺跡の風景です。
嶋田(昔の表記です)はかつて東海道の宿場町で、海道一の難所といわれ

箱根八里は馬でも越すが
越すに越されぬ大井川

と謳われた大井川の東岸に位置しています。
江戸時代は江戸防衛の為、橋を掛けることも船を渡すことも禁じられていましたので、東海道を行き交う旅人は皆川越人足の手を借りて、1キロに及ぶ川を渡っていました。

参勤交代の大名行列も、伊勢詣りの旅人も誰も彼も川越人足の世話になるわけですから、この界隈には毎日さぞかし大勢の人が行き来していたことでしょう。

この写真はそんな川越人足たちの待合所(番宿)が並ぶ風景です。

馬方は知らじ時雨の大井川

「私を金谷まで運んで戻ったあの馬方は、時雨の大井川を越えた私の難儀を知るまい。」

こちらは芭蕉の句碑。

大井川は普段でも流れが急で水量も多く難所とされていましたが、雨が続いた後は増水のため川止めとなることもありました。

芭蕉も4日間嶋田宿に逗留し川奉行・塚本如舟に世話になったそうです。

そしてその折に

駿河路や花橘も茶の匂ひ

苣はまだ青葉ながらに茄子汁

五月雨の空吹き落せ大井川

たわみては雪待つ竹の気色かな

これらの句を詠んだということです。
この芭蕉のように、川止めのために長逗留となった文化人や芸人が文化を伝え、かつての嶋田宿は文化水準の高いところと言われていましたが、時代の流れと共にそんな雰囲気も失われてしまった感があります。

最盛期には千人を数える川越人足がいたともいわれています。

川越しは一大産業でした。この界隈も大層賑わっていたに違いありません。

しかしそれも、架橋により一瞬で無になってしまいました。

その落差はさぞかし大きなものだったことでしょう。

ここを歩くと時代の流れに呑まれてしまった人々の戸惑いと、落胆を感じます。

どこよりも空が広く感じるのも不思議な感覚です。

次のバトンを@cticketさんにお渡ししたいと思います。もし済んでいたらごめんなさい。

◆ルール◆
■あなたの好きな街並みの写真を2枚upしてください。
■それぞれの写真に説明文を書いてください。
■次にバトンを渡す方を1名ないし2名を指名してください。
■指名は誰でも構いません。
■タグには#jp-friendshipを入れてください。
■指名した方のコメント欄に「jp-friendshipのバトンを渡しました!」とお知らせコメントを入れてください。
■指名したい方が居ない場合はしなくて、結構です。
■指名されても必ずこの記事を書かなければいけない訳ではありません。
■japaneseコミュニティ内の方のみ参加可能です。

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