“このごろは、昔に比べて学生の学力の低下がしきりに論ぜられているけれど、学生が人生に無知であって、考えが浅薄で、いい気なもので、甘い理想家で、虚勢ばっかり張っていて、そのくせ自信がなくて、・・・・・・という点では、今の学生も昔の学生も、少しも変わりがないという気がします。”
— 三島由紀夫
「行動学入門」文春文庫、1974、II終わりの美学、学校の終わり104項
そこを乗り越える、ということが学校からの卒業である、と三島氏は述べる。
果たして卒業できた人間は今の社会にどれくらいいるのか。
しかし、あれだけトランプ祭りをやっているアメリカですら投票率は60%そこらなのだから、無関心な人々が多い国は日本だけではないはず。
「自分の生活範囲が平和であればそれでいい。その範囲外のことに関心を持ってもきりがない。いちいち地球の裏側で起こっている殺人事件に慌てふためく必要などない。」
ごもっとも。
こうやって自身の幸福率と世の中に対する関心は反比例するものだと決めつけていたが、案外そうでもない。私自身、生活に不満はなく、平和な国で生活できて人並みに幸せだが、それでも私は世の中に対する関心はある。
グラフ供給元 - High income improves evaluation of life but not emotional well-being
家計収入に対する生活の評価。ポジティブな影響、憂ではない、ストレス。 ポジティブな影響は、幸福、笑顔、楽しさを報告する人口の割合の平均です。 「鬱ではない」とは、集団の平均の1から、心配と悲しみを報告する平均を差し引いたものです。 「ストレスフリー」とは、前日のストレスを報告しなかった人口の割合です。 これら3つの快楽的尺度は左側の目盛りに表示されています。 出世は、0~10のスケールで平均的に報告された数値で、右側の目盛りに表示されています。
“みんなお金持ちになって夢に見た全てのことをやったほうがいい。それが答えじゃないことがわかるから。”— ジム・キャリー
生活するにはお金を稼げがなければならない、ひいては お金=幸せ の「アメリカンドリーム」という幻想が、当国だけではなく全世界に浸透している。
資本主義。
人間の本能に侵食し、人を惑わす経済システム。
人を見失わせ、自動的に関心を一点、「経済的成長」に集約させる。
その他のことは一切気にさせない、というよりも意識できない。
明日のおマンマの確保と飽くなき物欲を満たす ことに大忙しで、世の中がどうなっているかなぞいちいち気にしていられない。
「お金」
という言葉を見たり聞いたりするだけで、人体の神経伝達システムに電流が発生するようになってしまっているのだから。
悪循環が始まる。
目先の小金に目が眩み、迎合する。
#japaneseコミュニティもこの悪循環に捕まっているのではないか。
そもそもSteemitはSNSであるものの、ブログのプラットフォームと認識しているユーザーも多い。
しかしここでこだわったものを投稿できない、する気にならない。
少なくとも英語圏の方がブログ認識の人が多いし、深いものも多いのでそちらで書いた方が無難だ。
現実世界でも同じことが起きている。
生活するための必需品、”金” につられて才能がどんどん日本から離れていく。
やりがいとそれに見合った報酬を得る環境が他の国にあるからだ。
私をSteemitに導いてくれた 2人のうち1人、@StellabelleさんがSteemホワイトペーパー(報告書)を読んで、Steemitの欠点をMediumで書いていた。
画像の赤下線は
“皆が必ず何か報酬を得るという、人々をギャンブルに夢中にさせるためにカジノが使う心理”
と言っている。その「小さな報酬が、いずれ大きな報酬につながる」という考え方を補強する、というものである。
いくらいいコンテンツを作っても、クジラレベルにupvoteしてもらわなければ生活できるでベルまでの収入には至らない。それよりも短時間で作成でき、コミュニティで共感してもらえるものを数多く作って多くのupvoteを稼ぐ。一つのコンテンツに長い時間を割く理由がない。
こだわった、いいものを書いて報酬を得たいならMediumなど、別のプラットフォームの方がはるかに魅力的だ。
このカジノが使う心理、資本主義の幻想がSteemian離れの元凶の一つであり、facebookユーザーとなんら変わらない環境をSteemitに作り上げてしまう悪循環を作り上げているのではなかろうか。
ポスト資本主義の社会を担う可能性を秘めたSteemit自体がその資本主義がもたらす悪循環に飲み込まれてしまっている。
私も例外ではなく、その悪循環に飲み込まれてしまっていた。
「英語学習系ブログは日本向けにして、個人的なブログは英語圏の人用に分けよう。それに#japaneseコミュは読み物に興味なさそうだし、俺の思想的な記事は日本語で書く必要はないな。どうせupvote稼げないし。」
記事の下に表記される小さな$マークに完全に目を奪われ、なぜ自分が本気でブログをやろうと思ったのかを 完全に忘れていた。
目先の小金に目が眩み、迎合し、臆していた自分に全く気付けなかった。
「なんだ、深い人間はたくさんいるじゃないか。 あまり自分を出すべきではない、という習慣が悪循環を作り上げていた だけなのかもしれない。」
どこで読んだかは忘れてしまったが、こんな心理的な例えもある。
『突然の雨から逃れるために、ビルの屋根下に逃げ込んだ男が、見ず知らずの、おそらく年上であろう男性と居合わせた。雨宿りのために来た人間は他にはおらず、しばらくの無言が狭い空間で続く。耐えかねた男が一言声をかけ、他愛ない会話を始めた。ふと、男はその場だけの関係なのだから何を話そうが構わないだろうと思い、自身の悩み事をぼやいた。すると相手の男性も個人的な悩み事を打ち明け、共感してくれたのである。
雨が過ぎ去った後、男はなんとも言えない清々しい気持ちになった。』
音楽の世界でも共通点が見受けられる。以前の私の夢は音楽で一旗あげること(今は老後の”夢”にするつもり)だったので多くを学んだが、やはり一流と二流では「心」の入り方が大きく違う。マイケルジャクソンと尾崎豊などが典型的なわかりやすい例だろう。
映画「This is it」を見たことがある方は感じたかとと思うが、マイケルはリハーサルにもかかわらず、歌に魂を乗せているのをひしひしと感じた。
尾崎豊の歌も、彼の魂が乗っている。以前ドキュメンタリー番組で、ステージ裏に戻って来た尾崎が顔面蒼白で倒れかけたところをスタッフが支え、その後数分でステージに戻ると言うシーンがあった。いかに魂を削って歌っていたことか。
ビジネスに関してもそうだ。戦後に素晴らしい功績と社会へ貢献したかつての一流企業は今や霞んでいる。帳簿の数字のやりくりに忙しくて ”生活を豊かにするいいものを提供する” と言う信念がまるで感じられない。比べて世界を牛耳るアップルの製品からは ”自社製品で" 人の生活レベルをあげよう、と言う強いものを感じる。
いずれにせよ「システム」に惑わされ、へつらい、迎合していては成し遂げられる境地ではない。
皮肉にも「システム」に逆らい、真摯な人間になることが最高の地位を築くことに繋がっている。
どんな「システム」のもとに生きていようが、「心」を持たなければ「心」は動かせないのだ。
100%屈託のないの自分でいることの力。
人間が純粋になった時の奇跡。
言葉が溢れ出す。止まらない。
誰も自分を取り繕う必要のない世界。
今、その世界へ向かおうとする動きが大きくなってきている。
そんな未来の、ポスト資本主義が訪れたときに必要な場所がこのSteemitにある。
先日、悪循環に飲み込まれ、目が眩み信念を失いかけていた自分が@torachibiさんの記事に叩き起こされたのは本当に幸運であった。
“世の中には3種類の人間がいる:羊、狼、そして番犬。悪は存在しないと信じる人もいるが、闇が広がった時に自分たちを守る方法を知らない。
そこに弱者を餌食にする略奪者がいる。狼だ。
そして攻撃的な才能に恵まれた、群れを守るために欠かせない抗いがたい需要がある。狼に立ち向かう数少ない種族。それが番犬だ。”— 映画 “アメリカンスナイパー”、主人公の父の言葉
以前の私は、日本は羊だらけだと思っていた。それが自分の心を開くことによってそうではないことを知った。 日本人は羊ではない。血を流さずして勝つことを知る数少ない種族 なのだ。
そんな日本人が羊ではないことは他国も、いや他国の方がよく知っている。
明治の西洋との戦い。
昭和の 戦後 の闘い。
一丸となった日本人の力は並外れたものではない。それに人間史上最も長い平和、江戸300年の太平と呼ばれる完成されかけていた未来のシステムを100年以上も前に作り上げていた。我々のソフトパワーという兵器に頼らない武力は並ではないはずなのだ。
今の平和はたかだか100年にも満たない。しかも皮一枚で繋がっている欠陥だらけのものだ。
しかし、今はサムおじさんのくれた夢に惑わされ、日本だけではなく多くの国が「闘うべき時ではない、闘う必要がない」という幻想から目覚められずにいる上に、その幻想が永遠に続くとすら思っているかもしれない。なぜなら敵は人間ではなく、人間が造り上げた偽りの平和を与える「システム」だからである。
自分がイニシアチブを取る。心を開く。悪循環を断つ環境を作る。そう思っていた私でさえ飲み込まれるほど今のシステムは強い。
それにこれは日本だけの問題ではない。
私1人でどうこうできるものではない。
世界で闘える日本人がもっともっと必要だ。
思い出させてくれた@torachibiさんの勇気ある記事に感謝の気持ちが尽きません。
スウェーデンの社会科の教科書にあった「ソーシャルメディア」のくだりにもとてもびっくりしました。小学校高学年相当の内容で「Twitterなどのソーシャルメディアは世界中の権力者に影響を与えられるツールです。あなたも意見を述べて他の人々に影響を与えることを考えてみましょう」という解説が出てきます。引用元 - 日本の子供はバカにされている。若者の投票率が低い理由をスウェーデンと比較してわかったこと
民衆が数多の血を流し、ようやく得た民主主義の唯一の行使— 選挙。
あなたは行きましたか?
もちろん、無投票というのも意思表示ですからそれでもいいと思います。
あなたが幸せならそれでいいと思います。
目先のお金に目が眩んで、経済的なグローバリズムを助長し、日本の美味しいお米ではなく外国産の安い小麦で作られたパンを食べる。
私はパンなど要らない。
自国の供給量を助ける政策ではなく、よその国に頼る。全ては経済を回すため。そのための政治。
文化や人としての発展ではなく、経済的な発展が全てをよくするという安易的な考え。
それが旨味だというビジネス。
もっと稼ごう、みんなで稼ごう。経済を成長させよう。
それが幸せに繋がるから。
それは本当の幸せ?
あなたはいつから、
自分の意思を持つことに恐怖を感じるようになりましたか。
いつから周りに合わせることしかできなくなったのですか。
いつから抗う人間を白い目で見るようになりましたか?
覚えているはずがありません。
生まれた時にはもうそういう社会になっていたのですから。
すみません、政治や思想を語るのは日本では一般的にはタブーでしたね。
村の決め事は本当に我々の村で決められたことなのか。
自分の住んでいる場所に、我々が暮らす社会に、
ここまで関心がない国は他にはありません。
”Why? Japanese people.”
Uncle Sam
サムおじさん。あなたは知っているでしょう。
でも一つだけ、いいことを教えましょう。
日本人とは
なのですよ。
Kazie